私は特殊清掃という仕事を通じて、数百、数千というゴミ屋敷の現場に立ち会ってきました。そこでいつも考えさせられるのは、これほどまでに部屋を埋め尽くすゴミの山も、最初は「たった一つの小さな放置」から始まっているという事実です。なぜ、これほどまでに事態が悪化するまで放置してしまったのか。その引き金は、驚くほど日常的な、しかし深刻な出来事であることがほとんどです。ある現場では、最愛のペットを亡くしたことがきっかけでした。家族同然だった存在を失った喪失感から、住人は自分の健康や食事に全く関心が持てなくなり、気づけば足の踏み場もないほどに弁当の空き殻が散乱していました。また別の現場では、深夜までの過酷な労働による過労が原因でした。家に帰るのがただ寝るためだけになり、ゴミを出すという最低限の気力さえも削り取られてしまったのです。ゴミ屋敷の住人の多くは、当初は「明日やろう」「今度まとめて捨てよう」と考えています。しかし、ある一定のラインを超えたとき、つまり自力ではどうしようもない物量になった瞬間、人間の脳は「思考停止」に陥ります。汚れた環境に慣れてしまい、異常を異常と感じなくなる麻痺の状態です。私たちは、ゴミの下から出てくる写真や手紙、賞状などを見るたびに、そこに確かにあった「まともな生活」を想います。彼らは最初からゴミ屋敷に住みたかったわけではありません。何かの拍子に歯車が狂い、誰にも助けを求められず、時間だけが過ぎ去っていったのです。なぜ片付けられなかったのかという問いに、彼らは一様に「自分でも分からない」と答えます。それは、彼らの心がゴミに埋もれてしまい、自身の意志で体を動かすことができなくなっていたからです。清掃業者の役割は、単にゴミを運び出すことだけではなく、その停止してしまった歯車を再び動かし、彼らが人間らしい自尊心を取り戻すきっかけを作ることにあるのだと痛感しています。ゴミ屋敷の現場は、人間の脆さと、社会の無関心が生み出した、極めて過酷な現実の投影なのです。