ゴミ屋敷清掃の第一線で働くプロフェッショナルたちは、一般人が想像も絶するような、ラーメンにまつわる凄惨な現場を数多く経験している。ある現場では、数年間にわたって一度も捨てられなかったカップラーメンの容器が、まるで地層のように重なり、部屋の天井近くまで達していたという。その地層の下層部にある容器は、自身の重みで潰れ、中には黒いヘドロ状になったスープの成れの果てが凝固していた。作業員がその山を崩そうとスコップを入れた瞬間、中から放出されたのは、単なる悪臭を超えた、鼻の粘膜を焼くような刺激臭であった。また別の現場では、出前のラーメン丼が数十個、食べ残しの状態のまま放置されていた事例もある。出前の丼は返却するのがマナーだが、ゴミ屋敷の住人は他者を家に入れることを拒むため、玄関先に丼を出すことさえできなくなる。結果として、高級な中華料理店の丼が、カビと虫の棲家となり果てるのである。清掃業者が最も警戒するのは、これらの湿ったゴミが引き起こす「二次被害」だ。ラーメンのスープが染み込んだ畳は、異様な重さを持ち、持ち上げようとするとボロボロと崩れ落ちる。そこから発生するカビの胞子は、作業員の健康をも脅かすため、防護服と高性能な防塵マスクが欠かせない。さらに戦慄を覚えるのは、ゴミの山の中で生活していた住人が、その不衛生な環境の真ん中で、平然と新しいラーメンを啜っている姿を目撃したときだという。彼らの感覚は、常人には理解できないレベルまで変質しており、汚物と食事の区別が曖昧になっている。業者が清掃を開始しても、住人が「そのラーメンはまだ食べかけだから捨てないでくれ」と懇願することさえある。ゴミ屋敷におけるラーメンは、単なる食べ物ではなく、住人の執着と無気力が混ざり合った、歪んだアイデンティティの一部となってしまっている。こうした現場を一つ一つ片付けていく作業は、物理的なゴミを取り除くこと以上に、住人が失ってしまった「まともな感覚」を強引に引き戻す、荒療治のような側面を持っている。ラーメンの空容器一つをゴミ袋に入れるという行為が、これほどまでに重く、困難な意味を持つ場所が、この現代日本には確かに存在するのである。