私は三十代の会社員で、半年前まで足の踏み場もない汚部屋に住んでいた。ゴミ出しが面倒で、ペットボトルやコンビニ弁当の空き殻が床を埋め尽くし、カビの生えた洗濯物が山をなしていた。転機となったのは、マンションの排水管清掃だった。管理会社から届いた実施通知を手に、私は三日間ほど寝込んだ。この部屋を作業員に見せるくらいなら、死んだ方がマシだと本気で思った。しかし、前年に欠席した際に「来年は必ず実施してください」と念押しされていたため、もう逃げ場はなかった。清掃当日、私は羞恥心で震えながら、最低限の通り道だけを作って作業員を招き入れた。案の定、作業員の方は部屋の惨状に一瞬言葉を失ったように見えたが、すぐに「失礼します」とプロの顔に戻り、黙々と高圧洗浄機を操作し始めた。キッチンの排水口からノズルを入れたとき、作業員が「だいぶ詰まりかけていましたね。今日やっておいて正解でしたよ」と優しく声をかけてくれた。その一言に、私は救われた気がした。汚い部屋で暮らしている私を否定するのではなく、メンテナンスを受け入れたことを肯定してくれたのである。作業が終わった後、配管から流れる水の音が以前より軽やかになったのを聞いて、私の心の中で何かが弾けた。この「水の流れ」を止めていたのは、物理的なゴミだけでなく、自分自身の自堕落な生活そのものだったのだ。作業員が去った後、私はそのままの勢いで、山積みのゴミを片付け始めた。あの日、他人を部屋に入れたことで、「これ以上、自分を恥じる生活はしたくない」という強いスイッチが入ったのである。それから三ヶ月、私は必要なもの以外をすべて捨て、今では床に何も置かないミニマリストのような生活を送っている。排水管清掃は、私にとって人生のデトックスだった。部屋を汚いままにしている人は、排水管が詰まっているだけでなく、人生の循環も止まっているのかもしれない。強制的なメンテナンスを受け入れることは、自分自身を救うための第一歩になるのだと、私は実体験から確信している。
汚部屋住人が排水管清掃を機にミニマリストへ転向した話