私の実家は、かつてはどこにでもある、温かくて清潔な家でした。母は花を飾るのが好きで、父は日曜大工が趣味の、ごく普通の家庭だったのです。しかし、父が亡くなってから数年、実家を訪れるたびに目に入る光景は、私の記憶にあるものとはかけ離れたものへと変貌していきました。最初は「少し物が増えたかな」と思う程度でしたが、次第に床が見えなくなり、廊下には正体不明の段ボールが積み上がり、最後には玄関の扉を開けることさえ困難な状態になりました。なぜ、あれほど綺麗好きだった母が、こんなゴミの中に住むようになってしまったのか。その理由を母に問うても、返ってくるのは「いつか使うから」「これはゴミではない」という頑なな拒絶だけでした。母の心の変化を理解しようと努める中で、私はあることに気づきました。母にとって、家にある物はすべて、父との思い出や、家族が幸せだった時代を繋ぎ止めるための「記憶の装置」だったのです。古くなった新聞紙も、中身のない空き箱も、それを捨てることは、自分の中から大切な何かが消えてしまうような恐怖を伴う行為だったのでしょう。独りぼっちになった母にとって、物は寂しさを埋めてくれる唯一の同居人だったのかもしれません。また、年齢とともに足腰が弱り、ゴミ袋を持って集積所まで歩くことさえも、母にとっては大きな負担になっていました。体力の衰えが気力を奪い、さらに気力の減退が判断力を鈍らせるという悪循環が、実家をゴミ屋敷へと変えてしまったのです。私は、母を責め続けた自分を深く後悔しました。ゴミ屋敷は、だらしなさの結果ではなく、母が抱えていた深い孤独と、老いという抗えない現実への悲鳴だったのです。プロの清掃業者に依頼し、ゴミを取り除いたとき、母は静かに涙を流しました。それは、物を失った悲しみではなく、ようやく「今」を生きる覚悟ができた瞬間の涙だったと信じています。実家のゴミ屋敷化という悲劇は、家族のコミュニケーションが途切れた隙間に、静かに、しかし確実に忍び寄ってくるものなのだと痛感しています。
実家がなぜゴミ屋敷になったのか娘が綴る悲しみの記録