セルフネグレクト、すなわち自己放任に陥った人々にとって、カップラーメンは「生命を維持するための最低限の燃料」であり、同時に「生活を破壊する凶器」ともなり得る。食欲は人間の三大欲求の一つであるが、精神的な病や過度のストレスによって心が折れてしまったとき、バランスの取れた食事を摂るという意欲は真っ先に消滅する。そこで重宝されるのが、安価で保存が利き、お湯を注ぐだけで強烈な旨味を味わえるカップラーメンである。しかし、この簡便さが仇となる。栄養の偏りは脳の機能を低下させ、さらに判断力や意欲を奪うという悪循環を引き起こす。ゴミ屋敷の住人の多くが、重度の栄養失調や糖尿病を患っているのは、こうした「ラーメン依存」の生活が数年単位で続いた結果である。食生活が荒廃すれば、それに呼応するように部屋も荒廃していく。食べた後の容器をゴミ袋に入れ、決まった日に集積所へ持っていくという、ほんの数ステップの工程が、彼らにとってはエベレストに登るかのような過酷な試練に感じられるようになる。一つ、また一つと部屋に放置された容器は、いつしか住人の自尊心を削り取り、「自分はゴミの中で暮らすにふさわしい人間だ」という誤った自己認識を植え付けていく。こうして、ゴミがゴミを呼び、ラーメンの容器が壁となって外界との接触を断ち切るゴミ屋敷が完成する。この連鎖を断ち切るには、単に部屋を綺麗にするだけでは不十分だ。なぜなら、根本にあるセルフネグレクトの問題が解決されなければ、清掃したその日から、また新しいカップラーメンの容器が床に置かれ始めるからである。行政や地域包括支援センターによる福祉的な介入が必要なのは、このためである。彼らに必要なのは、掃除機ではなく、温かい手料理を一緒に食べてくれる他者の存在や、自分の健康を気遣ってくれる誰かの声かもしれない。ゴミ屋敷の中に積み上がったラーメンの山は、助けてくれと言えない人々の、声なき悲鳴の積み重ねなのである。その悲鳴に気づき、栄養バランスの取れた食事と清潔な環境をセットで提供することこそが、ゴミ屋敷という負の連鎖を止めるための、唯一の処方箋となる。