高齢者のゴミ屋敷問題において、最も大きな壁となるのが、本人による「これはゴミではなく宝物だ」という強い主張です。側から見れば明らかに不衛生な不用品であっても、なぜ彼らはそれを死守しようとするのでしょうか。この頑なな執着の裏側には、老いゆえの「喪失への過剰な防衛」と、迫り来る「死への恐怖」が深く関わっています。年齢を重ねることは、体力、社会的役割、友人、家族など、多くのものを失っていくプロセスでもあります。その喪失の連続の中で、自分の持ち物だけは自分の支配下にあり、自分の一部であると感じるようになります。物を捨てることは、残されたわずかな自分自身を切り捨てられるように感じ、耐え難い苦痛を伴うのです。また、記憶力の減退を自覚している高齢者にとって、物は「記憶の代わり」として機能します。その物を見れば、自分が誰であったか、どんな人生を歩んできたかを思い出すことができる。物を失うことは、自分の歴史そのものが消えてしまうような恐怖に直結しているのです。なぜ彼らはゴミの中にしがみつくのか。それは、物が放つ生活の気配こそが、孤独死や無縁死という静寂への唯一の対抗手段だからかもしれません。ゴミ屋敷化は、外界に対する「自分はまだここにいる」という必死の抗議声明でもあるのです。また、認知機能の低下により、物の取捨選択という高度な抽象的思考ができなくなり、すべてが「大事なもの」というカテゴリーに統合されてしまうこともあります。この問題を解決するには、本人の不安を否定せず、まずは「あなたが大切にしてきたことは分かっています」という敬意を示すことから始めなければなりません。物を減らすことが、人生を豊かにし、より安全に最期まで暮らすための手段であることを、時間をかけて納得してもらう必要があります。高齢者のゴミ屋敷は、単なる環境問題ではなく、人生の最終章における人間の尊厳と執着、そして孤独という名の深淵との格闘の結果なのです。私たちは、その重みを理解した上で、彼らの心が穏やかに解放されるための手助けをしなければなりません。
高齢者がゴミを宝物だと主張する背景にある死への恐怖と執着